台湾観光 中正記念堂 TAIPEI101 [旅日記]
また台北市滞在最終日にはホテルでゆっくりとしてくつろいだ後、
午後から「中正記念堂」を見学に行きました。
下が「自由広場」のミニチュアです。
蒋介石総統を記念して建てられた建造物が広大な公園の中にモニュメントとして建てられた物を見学をしました。
閲兵の交代式も見る事が出来ました。観光用なのかも知れませんがまるでロボットの様な動きの兵隊さんの交代の姿も見る事が出来ました
そして建物の中には国家的な芸術学校の教室もありました。
階段を下りる際に間違えてしまいとても天井が高く広い部屋で、一人の方が作品を制作している部屋にも足を踏み入れてしまいました。ラッキー
「中正記念堂を正面に据えた広大な公園の両側には、国家音楽庁と国家戯劇院と言うとても大きな建物も向い合せに建てられておりました。此の公園の正門には「自由廣場」の文字がとても印象的でした
また海部俊樹首相が桜の木を贈呈をした記念碑も見る事が出来名前は金文字で書かれておりました。
その後タクシーで、台湾の方々が誇りにもしているとされる
タワーは508メートルでもありますし、世界では類を見ないと言う風圧制御の為に設計されて展示されている鉄球が91階の展望台にありました事にはとても驚きました
天気が良ければとの条件付きですが、更に91階の屋外展望台にも登る事が出来ると言う事ですが、登る事は出来ませんでした。
タワーの展望台には珊瑚で彫刻をされた素晴らしい芸術作品が処狭しと陳列をされておりました。
本当に多くの作品を拝見させて頂きましたが、その見事な色合いを写真に上手く切り取る事は出来ませんでしたのが残念でした。
此れで台湾への一人旅日記記事を終えます。
私が台湾を去って2日後に、台湾を大雨が降り台湾全土を大洪水が襲いましたのには大変驚きました。
後に居酒屋で知り合った「日本語学校」に通っている学生さんが居酒屋でアルバイトをしており、洪水被害の写真を送って下さりましたが大変な被害に遭われた様です。
台湾の旅 平渓線 平渓市 青竹祈福祈願 [旅日記]
次は平渓線の銘々された平渓市に行きました。
此処は市でありますが、観光客は少なかったです。
いろ色と駅の近辺を歩きました。
寂れた感じの街でした。
十分でも見かけた普通のどの民家にも窓には鉄格子が施されておりました。
十分では小学校の各窓に至る迄鉄格子が施されておりました。
台湾の侵略への歴史を物語っておりました。
民家の入口と来たら人が横に為ってやっと入れるしか幅が狭く作ってありました。
ましてやローカルな町ですから天井も低くて殆どがコンクリートのマッチ箱の様な平屋建てでした。
台湾全土に有ると言う孔子廟や廟と言う物、日本で言うとお宮さんみたいなものなのでしょうか?
私の平渓市で訪れたのは皇帝と書かれておりましたので皇帝廟でしょう。
お妃様が両隣に祀られておりどちらも顔を隠しておられました。
其れに十分でも見かけた「象」は守り神の象徴の様でした。
インド仏教伝来の象徴みたいですからね。
其れと驚いたのは墨です。
青竹に墨文字で願い事を書き記して吊り下げて有るのですが、
古くなり竹の色が変わってしまっていても、
墨文字はクッキリと鮮やかに書いた其の侭に残っているのには驚きました。
平渓市を後のして台北の駅の2階に安くて美味しい店が並んでいたので其処で夕食を済ませてホテルに戻りました。
言葉の通じない者に取っての2階の食堂街は割安であり美味しく頂けてとても便利な物だと感じました
台湾の旅 平渓線 十分大瀑布(台湾のナイアガラ) 天燈祈願 [旅日記]
前回で書きました瑞芳駅が始発の平渓線の旅の記事を書きます。
台北駅より昨日と同様に九分老街への起点の駅瑞芳駅に到着をして、
葉さんに挨拶に行きましたら、葉さんよりのプレゼントを頂いてしまいました。
とても熟している美味しそうなマンゴウをわざわざ用意をしてくれていたのです。
此れにはとても喜び驚きと共に感謝!!感謝!!です
いよいよ支線である平渓線の旅に出発を致しました。
ゆっくりとしたローカル線の車窓よりは一面の河や緑葉の自然の景色を堪能しました。
中途で多くの若者が降りたちました。
気持ち的には一緒に降りてついて行きたい衝動も起きましたが我慢をして、葉さんに教えて頂いた十分駅を目指しました。
十分駅に到着して目的地「十分大瀑布」に向かい歩き始めました。
6月初旬と言う事もあり天気も快晴であり歩くには少々熱い日でした。
グループの若者達は、タクシーに乗り「十分大瀑布」を目指しましたが、一人の私は歩く事に致しました。
途中で喉が渇きミネラル水を呑みながら歩き続けました。
途中に「硫黄鉄道」と言う記念施設がありましたので休憩を致しました。
さすがに大きな滝であり、私は今までに見た事の無いほどのなスケールの大きな滝でした。
幅が広くてカメラのアングルに収まりきれないほどに幅のある滝でした。
下に降りて行くと滝壺から舞い上がる飛沫の飛沫が霧の様な物を顔に受けて暫くはその場で本当の癒しを頂いておりました。
大滝を後にして別の道を登って行きましたら、石仏では無くて銅で出来た僧の坐像が路の両側にズラッと並んでいる事に驚きました。
その向こうにとても大きな石仏が鎮座を致しておりました。
日本では見た事の無い様な素晴らしい物でした。
今回の旅で感じたのですが、台湾で仏様を守っているのが「象」で有る事に非常に興味を覚えました。
十分駅近くに戻りガイドブックにある菩提樹の木の下にある露天式食堂で食事をしましたが、町並みは平渓線に沿って建てられておりました。
駅に戻る途中に幼稚園を抱える小学校がありましたが、全て窓にも何も鉄格子が填められておりました。
侵略を何度も受けた国の象徴の様に感じました。
菩提樹の木の葉の下を平渓鉄道の列車が上下走っているのです。
鉄道を挟む様にしての町並みにはしばし眺めてしまいました
ローカルであるがゆえにとても温もりを感じる光景でありました
柵も何も無く観光客は線路をまたいで行ったり来たりしてとてもローカルな風景でもありましたが。
十分駅では、十分大瀑布と他にも珍しい光景に出合えました。
葉さんから教えて頂いた老人にはお会いをする事が不案内で出来ませんでしたが、十分駅で「天燈」と言う物にも出会いました。
四角い大きな袋状の物の下が空洞に為っており、その真ん中に燃える燃料的なものが取り付けられておりました。
「天燈」と言われる四角い面にグループの観光客は其々に神に願い事を墨で書き記しておりました。
そうすると熱気球の様に「天燈」の中の空気が熱せられて膨張して大きく膨らみそして徐々に上昇をし始めて天高く見えなくなるまでに上昇をして行きました。
神様の元へ届く様に祈ります。
台湾の旅 瑞芳駅 九分 金瓜石 一人旅 [旅日記]
二日目は観光で定番の「九分」への旅をしました。
台北市内の地下鉄は観光するにはとても便利な乗り物です。
台北駅迄行き、台北から東部幹線と言う鉄路に乗りました。
ガイドブックには、6月初旬でもあり台湾の鉄道は冷房が効きすぎるから用心をする様に書かれておりました。
しかし急行に乗って向かったのですが冷房は無くてとても人息で蒸し暑く感じました。
到着地である「九分」への入口の駅「瑞芳駅」に到着してバスに乗り「九分」へ向かいました。
現地のお年寄り方のお話で教えて頂いたのですが、日本が統治時代に「昭和天皇陛下が泊まられたと言う御殿」が九分にありました。
とても色鮮やかであり細工も細かく施されており精細な作りや装飾がとても綺麗で良かったです。
バスを降りた処の展望喫茶からは基隆港の景色が一望できました。
九分老街は急な坂に出来た小さな町的な集落でありました。
殆どが観光客相手のお店でありいろいろと見た事も無い様な土産物が沢山ありました。
とにかく随所に色鮮やかな建物や品物等を見て来て、台湾の方々が鮮やかな色彩や技術力を愛している事を感じました。
泥で出来たお面が処狭しと飾られていたお店や、多彩な色を使って祈副祈願文字を名前を入れて即興で描く女性の見事な筆さばきも見る事が出来ました。
其処からまたハプニングが起こりました。
九分老街を下に下って抜けるとやはりバス路線の道がありました。
其処で休んでいたタクシーの運転手に誘客をされました。
渋っていると通常観光料金の半額で1時間との約束をして承諾をして乗り込み、
金瓜石と言う日本の統治下時代に金鉱で賑わった街「金瓜石」の所以である海岸線や「黄金滝」や「茶臼山」等や「旧金瓜石老街」を見物をさせて頂きました。
まずは「黄金滝」硫黄分が流れ出して色が点いております滝でした。
日本の統治期時期に金鉱山として賑わった街「金瓜石老街」その名の「金瓜石」です。
観光を終えて瑞芳駅に戻った処で、またハプニングが起きました。
旧日本軍に徴兵されて九州の航空兵学校で調練されていて終戦に為ったのだと言う葉さんとの出会いがありました。
80歳と言うのにとてもお元気であり、ボランティア活動として瑞芳駅で日本人の観光客の為に日本語のガイドをされているとの事でした。
その方より、月並みな観光よりも瑞芳駅より始発の支線「平渓線の旅」を進められて「台湾のナイアガラの滝」を見に行く事に決めました。
台湾の旅 台北 龍山寺 士林夜市 [旅日記]
私はホテルに到着後、荷物の整理をしてから早速台北市の観光に出掛けました。
台北市の地下鉄は縦横に何本もの線が走り市内観光をするにはとても便利であり良い環境だと感じました。
まず最初は台北駅近くにあります、「龍山寺」を尋ねました。
ガイドブックには、台湾全土には孔子廟や皇帝廟と言う建物のいろいろな廟が全国各地に多く点在をしているとの記述がありました。
「龍山寺」境内には参拝者の姿がとても多く来ており、熱心に参拝をされておられました事と。
更に供物の凄さや多さに二度ビックリしました。
台湾の方々の信仰の厚さをとても感じる事と為りました。
次に訪れたのは観光の定番である「士林観光夜市」です。
やはり地下鉄で行きました。
若者達のグループやカップルそして親子連れとみなが笑顔で楽しんでおりました。
私は時に一人で有る事の侘しさも感じさせられました。
いろいろと珍しい食べ物が豊富でありゲームも色とりどりありましたのでいろいろと楽しめました。
帰りに居酒屋風のお店に入ったのですが、日本語がまるで標準語の様に使えた事にはとても驚きました。
初日はいろいろとありましたが。
ガイドブックには台湾の方々の多くが所得が低い為に夜市の様な副業で生計を立てていると言う事が気に為る一日と為りました.
何処の国の国民にも貧富の差が広がっている現実に老いた私には辛いものがありました。
もっと若ければ多いに仕事をして家族を満たす事が叶うのにとの思いもありました。
台湾の旅 一人旅 日記 [旅日記]
私は若い頃に何度も台湾の旅を楽しみました。
台湾の方々の日本人への温かい眼差しや温もりが忘れられずに今回思い切っての一人旅です。
まず東京に出た時「紀伊国屋書店」により、ガイドブックや会話の綴りが書かれた物を購入して会話の綴りを短冊に書き写しての準備をしました。
ネットで調べ航空券の手配やホテルも3泊を複数の会社を利用して1泊ずつ3軒のホテルを台北市で予約をしました。
やはり一人部屋でしたので、あたりはずれはありましたが備品や安全面では何等問題はありませんでした。
本来ですと台湾を一周する希望が有ったのですが移動時間等に不安があり今回は諦めました。
神奈川県小田原を朝に出発をして、昼の成田発の便で桃園空港に向かいました。
まずはシャトルバスでホテルに直行するも、ホテルの案内説明ではバス停から歩いて直ぐに着けると思っていたのですが幾ら歩いても目印が出て来ませんでした。
不安に駆られてしまい道行く方の中に車椅子の老婆を連れていた女性に声を掛けてホテルの地図を見せました。
そしたら車椅子の老婆が大きな声を出して指図をし始めてくれて、女性は車椅子の老婆を連れながら誘導を始めてくれました。
私が想像をしていたよりもはるかに遠くてバス停からホテルの距離はとてもかけ離れた距離でした。
其れでもお二人はもくもくと歩き続けてくれてホテル迄案内をしてくれたのです。
本当にとても感謝!感謝!です。
私が求めていた人の温もりを持つ台湾の方に最初に出会う事が出来たのです。
最高の出会いがありました
現在では台北は都市化をしてしまっておりました。
日本の侵略による統治時代を経て戦中戦後を通じても台湾国の国民全てでは無いのでしょうが。
親日的な感情を持たれていると言う事は日本軍を始め日本人が台湾の国民の方々へ大きな貢献を果たして来た事によるものと先人に対して感謝を致しております。
台湾の国民の方々より日本国に対しての信頼を頂く事が出来た事が大きいのではないのかと感じております。
その象徴でもある九分にある昭和天皇が在所した宮殿や他の保養施設が今も残されて保存されていると言う事です。
其れと九分老街への入口にあたる、台北より鉄路で行った駅「瑞芳駅」で80歳だと言いながらも。
とてもお元気に日本語の通訳のボランティアをされていた葉さんです
彼曰く、台湾通貨の呼称は「ゲン」との事だが、紙幣には今でも「園」と書かれているのだと強調されておりました。
葉さんとの出会いで紹介された、「台湾のナイアガラの滝」瑞芳駅を始発とした平渓線の旅をする事と致しました。
まず台北市の観光日記記事の次に九分老街観光と金瓜石観光記事。
そして平渓線の旅の十分大瀑布と天燈祈願の観光の記事。
最後に平渓市の青竹祈願や
台湾の国が幾度も侵略を繰り返されて来た歴史を感じる住宅を垣間見る事と為りました観光記事を書きます。